霊能者GIN 語り草 語り種

霊能者GINの考え方・気づきの語り種  心の健康は心とカラダの健康

死 の 先   GINの想像する宇宙の作り

   

人間の永遠のテーマ
そういうGINにだって答えが有るわけじゃありません。
ただ こうは考えられないか? というGINの考え方を書いてみました。

生まれてから死ぬということ

実は非常に身近です。

物質 細胞 分子
世界に劣化しないものはない 変化しないものはない
全てが始まりと終わりを迎えます。
その期間が短いか長いかの差です。
人間は恐怖を感じます。
死ぬことに。 それは何故でしょう?

宗教というもの

宗教がコレほど多いのもその証拠です。
教示によって人間の進むべき道や未来を解き

未知への恐怖を 既知への境地へ変える

そういったものを示し集団になることで実は誰も知りたくない 理解したくないという本質を知りながら避けられる。熱心な信者の根本なのかもしれません。また開祖というのは未知なることに対して こうである と言い切る理論派なのだろうと思います。

GIN自身は こうである という確固たるものはありません。 というよりもそういった考え方には少し冷やかで遠い視線で冷めた意見を持っています。

それって地球上の話 人間の範疇(はんちゅう)ですよね と。。。

科学論と精神論を分けて

これは科学と精神世界を分けて考えるしかありません。

全てをデジタルのように解読していくものと、1を1ではないと理論理屈で考えさせるアナログな考え方とでは相まみえることはないのも精神論じゃないでしょうか。

科学で証明できていることはほんの少しであって実はわからないことだらけ。 でも証明できていることについてはその物事がなにかというプロセスが理解できる。

精神世界というのは ある意味妄想でも有ると思う。仕方がない、証明できないし共有できない部分が多い訳で言葉で言うなら 実際に という言葉は適切ではない。 そりゃそうです、精神は実在なのかなんなのかそれがわからない。 精神や心を 事象だ という理論もありますが それは科学思考が表現したからで 事象が自ら進化する 事に対しての証明じゃない、客観的な点の表現だからです(ムズカシイ…)

だから分けて考えるしかないんです。

こういう話になると そもそも論である

生き物は何故考えるようになったのか?

何故 考えるのか?

考えてない生き物は? 進化は??

何故 人間は今の容姿になったのか?

何故 指は5本なのか?

何故 空気が必要なのか?

何故 足に指が必要なのか?

何故 退化と進化があるのに時間がかかるのか?

そして

宇宙ってなんなのか?

地球に人間が出現してから終わるまでどのくらいか?

地球が消滅したら宗教である世界はどうなるのか?

宇宙の始まりと終わりはなんなのか?

本当の起点というのはなにか?

 

とりとめなく考えると人は怖くなるんです。
それは知らないからではなくて 知る術すらしらないから です。

未知への恐怖というのはある意味活力にもなって それを知ろうと努力することができます。でも死に関してそれを知ろうとすると、それは死を迎えてしまうから。。 知るす術も、知ろうとする活力も絶たれるからこそ恐怖するんです。 自分以外の死は始まりと終わりにすぎないからです。

宇宙とは

宇宙という構図

GINの考えです。宇宙の始まりもきっと精神世界なんだと思います。 ただそれは人間が考える範囲はあまりにも狭くて想像もつかない事が当たり前に自然だったりと想像がつかないネジ曲がっているものなのかもしれません。 それは1つと1つをまとめる(足す)と2つになることを当たり前に知っているように、ただ受け入れるとか、必然なものとするか、それすら理解できないかもしれない様な者語ごとがそこにはあるのだろうなと思います。
そしてきっと全ての始まりは 物体ではないのだろう と思ってます。

表現するならば、宇宙は実は連なったソーセージの様なものが輪のようになっているんじゃないかと。 ネジリを繰り返してあたかも収縮と膨張を繰り返している様に見えるけど、実は繋がっている一つの強烈な精神の塊が宇宙ってものをつくってるんじゃないか? なんて考えてたりします。

とりとめもなく 答えも視えず です 笑

地球上の次元との差

きっとね。地球上で、現世として、物質世界に 生きる ということは、精神の一つの形にすぎないのだと思っていて、物体が細胞を更新できなくなるとという停止を迎えるんだけど そこで精神というものが形を変えて別の次元というか 世界に移動する。 これが宇宙という科学のサイクルなのか 天国地獄の様な宗教観なのか そんな違いなんだと思ったりします。

ただGINはある意味理論派なので天国地獄のように宗教的観点からだと地球上という狭い範囲での話になってしまうので、精神で作られた宇宙の別の一面で、別の次元にまた始まりと終わりを繰り返しに移動する つまり戻る そんな様に感じます。

 

死 は 無 であるのか

悟りの境地ではそうだが

よく聞くのは 悟りの境地 という考えの行き着く終端では死は無であるとしてます。 死を無であるというと あたかも ON↔OFF であるかのように考えてしまいます。 それは光と影、表と裏、先端と終端、という様な始まりと終わりで締めくくられ その終端を科学的・生物的な死ということであると決まっている様な話が多いです。
でもGIN自身の立場として、霊能者や霊能力という部分を肯定したり(認めて)またGINの考え方を加味すると 死は無であるとはどうしても結び付けられない。

死して無になるのなら 過去の記憶は繋がった思い出という記憶の中でしか 現代の人に引き継がれないし記憶にも残らない。 つまり捻じ曲げられても変えられてもそれが引き継がれたのなら過去の歴史は想像と記憶でしかない という哲学的な話になってしまう。

でも あえてそこは現実離れしたGINの霊能力の話になるのだけど、ご先祖や過去に起きた事、起こった事、経験してきたこと、それを土台に未来が引き寄せられる可能性のある事象というのは 何故まったくの他人であるGINに分かるのか?

繋がりとしての記憶や記録で歴史が存在するのであれば 途絶えたつながりであるGINに分かる理由がなにもない ということなんです。

別世界として存在を考えてみた

これまでのGINの色々を合わせた考えをまとめると

物体であるという世界

精神の世界

それぞれが別々に存在しているという考えに行き着きます。しかし人間という存在は物体と精神を両方持っていて 別々の世界がそれぞれに別々であると人間の存在がおかしいことになる。 そこでソーセージの話を思い出してほしいのですが、どこかで交わる様な 各々が別々に離れている場所ではなくて、至近距離もしくはくっついているところが必ずあるということ。 その交わる場所 つまりそれぞれが混在し交差する場所が地球であり人間社会である ということなのだろうと考えをまとめてみました。

精神世界があると肯定もできないけど想像のできないことを次元が違うという言い方にすれば 物体として触れる世界と 精神という触るとか交わるという実質的なものじゃない次元の違う世界がある とすることで やれ宗教観だの 宇宙の創世者だの 神だ 科学だ ということだけじゃなくて、ひとまとめに考えられるなぁ と思った次第です。まぁそれは答えではなくて、そう考えた方が繋がりそうだ というグレイな考えで未だ模索しているところではあります。

疑問としてはそれを知る必要があるのか?  です。

その部分に関してGINは 生きている間に知る必要もない と思ってます。

未知であるがゆえに恐怖を感じるけど未知で有るが故に知ろうと努力をする。

既知が故に 安心はあるけど既知が故に行く先を見失う

 

そういうことなんじゃないでしょうか。

 

だから知らなくていいし 恐怖があってもいい。

ただ その先に別の次元、別のステージ、想像もつかない何かがあるのはなんとなく感じるボワッとしたものがあるし不安だけど全く知り得ない恐怖よりは軽度だな と思ったり。
全てを明確にすることが答えではないし、不明確だからこそ期待も不安も持てるんだとGINは思います。

GINの考える 死 の 先 は  知る必要はない になりますね。 笑

うまく逃げたみたいでスミマセン。

 

人間だからこそ 人間だから故に

人は繋がり 共存することで生きれる生き物です。 それが故に身の回りから何かがなくなったら不安だし、悲しいし、ずっとあってほしいと思うあたりまえを感じたい生き物。 でもそれはできない、叶わない世界に生まれ生活しています。始まりと終わりがあり物体の世界では万物が永遠ではないからです。

父・母が居て、その分裂として子が居て、そしてその子がまた父・母として、その流れを繰り返すのが人間の時間との関わり方だし繋がり方で変えられない事。

精神世界には時間の概念もない繰り返すという縁(円)の繋がりの中で、物体の世界と 精神の世界とを行き来するものなんだろうし、それを魂というのかもしれません。 言い方を変えれば地球上だけでなく全宇宙の中での輪廻(りんね)はあるのだろうな と思っています。

 

人ってのは 常に ”新しい” でないと存在できない最先端です。脆く、変化に富み、同じ時間を繰り返せない不器用な生き物です。 どうあっても常に新しい状態でなければ存在できないんです。 加齢による身体の変化もそれは ある意味新しいことなんですよね。

 

ですから新しくなれなくなったら言葉では死と表現し片付けてしまうけれども 実は単に、物体世界から精神世界へ移動するだけなんだな と。

 

死を怖いと恐怖するのも 実はGINも同じです。 得体の知れないものを視てるのに 笑

でもそれは仕方がない。だって未知ですから。 GIN一人がそうだと言っても周囲も納得はしないだろうし、GIN自身も不安だしわからないことだと思う。 誰かがそれ(死)を知ろうとすればそれは死だから。

 

自分を更新できなくなるその時まで

精一杯色々と新しいことに直面する日々を

楽しいと考えて過ごす

その先は それから でいいと思います。

 

それが 死 の 先 を見ることのできる

 

最先端の人間なんだと思うから。

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